動物は自分でエネルギー源を作ることは出来ない。
全部他のものを食べて得る。
より多くの子孫を残すには・・・他より強い力を持たなければならない。
それにはより大きな身体を・・・・・
植物は光合成という人間も未だに真似の出来ないものでエネルギーを自ら作る。
この自らの力で作るということが、植物にとっては生きるか死ぬかの問題である。
より多くの子孫を残すには・・・・より多くの花を咲かせ。より多くの種子を稔らせる必要がある。
植物が生長し花を咲かせるのは、人間様を楽しませるためではない。
ところがである。
宇井清太蘭展やって見て解かったことがある。
実に多くの人が・・・・花は人間のために咲く・・・・・と思っている人いるという・・・
驚くやら・・・呆れた思考が流布していることである。
プラントハンターは・・・別な意味で・・・・秘境からランを連れ出す。
より大きく、より高く、より・・・・
こういう向上心を捨てた植物がラン科植物である。
何も・・・他と競いあってまで地上を支配する必要なない。
光合成も身の丈で行なえばよいのではないか???
ランが菌根植物に進化したのには、巨大神話とは別な生きる道の選択があったからである。
ランの多様な進化は、ランが光合成の負け組み植物が編み出したものである。
マスデ、オンシ、デンドロ・・・・一属に多くの種を生んだランは・・・ほとんどミニオーキッドである。
でも、この小さな花も・・植物図鑑では・・・大きな花になっている。
植物図鑑の花は実物大ではない。
光合成の大小とは全然別な世界である。
植物が海から陸上の上がって生きる選択した。
そのためには、自分で稼がなければならない!
空気には炭酸ガスがある。
雨が降るから水もある。
太陽から降り注ぐ光もある。
太陽からの熱線で温度もある。
これを上手く組み合わせ利用すれば・・・・自分で稼いで自立できる。
簡単に言えばこのようなことで光合成するように進化したのであるが・・・・・
ここで大問題になったのが強烈な紫外線をどうするか。
海のように常に水があるとは限らない陸上での水確保はどうするかであった。
それの対策を構築するのに、何億年を要した。
この問題は現在も100%は解決していない。
光は天から降ってくるから・・・・光を最も多く獲得するには太陽がある上に上に生長することになる。
これには大きなリスクを伴う。
2000mの山に上れば紫外線は海抜0mのおよそ2倍の強さになる。
赤道近くの高山に自生するラン、植物は、この強烈な紫外線対策をしなければならない!
背を高くして多くの光を独り占めすることを行えば・・・
紫外線を多く浴びるとともに、水を上まで揚げなければならない。
この問題を克服したのが樹木ということになる。
この喬木の枝を棲みかにする着生ランは・・・・非常に狡猾なことを考えたランである。
己の身体を上に伸ばす必要はない。
単茎種のランは・・・・樹木と競争して背を伸ばすのであるが・・・・
年輪の持たないランには限界というものがある。
茎の中ほどから支柱根を伸ばして・・・身体を支えないと・・・倒れてしまう。
光を得るために・・・苦労している姿である。
ならば・・・闇の世界で生きることが出来ないものか????
アンダーグランドオーキッドの誕生である。
これはこれで大変である。
光合成が出来ない。
全部・・・依存生活者にまで・・・落ちなければならない。
プライドを捨てなければならない。
ヒモ生活。
でも・・・男にも・・・これにあこがれる心理は存在する。
生育の極めて遅いランは、自生地では光と水の争奪戦での負け組み植物である。
森林の支配者は喬木である。
水、光の争奪戦の勝ち組みである。
水争い。
ライバル!
ライバルとはラテン語の語源が「水争い」の相手である。
それほど生物にとっては水は生命線である。
植物にとっては、水と共に光である。
喬木とラン。
それは人間社会にも当てはまる。
第一部上場企業である。
巨木になる植物は、植物分類学からみれば一属の種は少ない。
ランは中小零細企業である。
日本には中小零細企業が300万社もあるという。
ラン科植物26000種。
似ているではないか????
ランの業者で生きる選択肢を選んだ宇井清太は、
絶対に・・・・第一部上場会社を目指さなかったということは・・・・ランのような生き方を選んだことになる。
必死になって生きるエリア、光を求めなけれなならない。
ランは森林の支配者になれないからこそ、多様な進化をした。
受光装置である葉の形態を多様に進化しなければならなかった。
葉をみれば・・・自生地の光条件を想像できる。
ランは他の植物を真似ているからである。
ランが生息している場所には、他の植物も自生している。
この植物とランには光に対して共通点が見られる。
このことから、ランが菌根植物であることが見えなくなる。
だが、ランには外には見せないが・・・・常に光が奪われるという・・・・受難の恐れを抱いている。
生長の早い植物には敵わない。
しかし、他の植物が生きているということは、必ず枯れ落ち葉、死骸があるということである。
枯れ落ち葉は・・・光エネルギーの変化したものである。
このエネルギーを利用すれば・・・・直接の光は必要ではない。
暗黒の中で生きる腐生ラン。
腐生ランは、自分で行わなくても、光合成の中で生きる植物である。
ラン菌が分解した低分子の糖の中には・・・
光のエネルギーが蓄積されている。
ラン菌による炭素循環ラン栽培法は、別に言えば光エネルギー循環栽培法でもある。
自生地は光の争奪戦の戦場
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